日本史上最大のヒストリック・ロータスF1フェスティバル!
2012年11月3日、富士スピードウェイを舞台に日本最大のロータス・ワンメイク・イベント"JAPAN LOTUS DAY 2012"が開催されました。このイベントにClassic Team Lotus Japanも全面協力。CTL MEETING IN FUJI 2012として、クライブ・チャップマン以下本国CTLのメンバーを招待したほか、国内に生息する10台のF1マシン&オーナーにお集まりいただき、過去最大規模のデモンストレーションランを敢行いたしました。
なんと10台のロータスF1が富士に集結!
この日、富士スピードウェイには日本国内に現存する10台のロータスF1マシンが集結。そのうち9台がデモンストレーションランを行いました!
【1967 LOTUS 49 (C/N:49-R4)】
展示のみながら、今回のイベントの目玉でもあったのがこのクルマ。フォードの資金援助の元、ロータスとコスワースの主導で開発されたコスワースDFVを搭載した史上初のF1マシン、ロータス49。1967年のオランダGPでデビューするや否や、グラハム・ヒルが圧倒的なタイムでポールを獲得。決勝ではジム・クラークが独走優勝を果たし、F1界にセンセーショナルを巻き起こした伝説の1台。このR4は68年の南アフリカGPでクラークが生前最後のGPウィンを飾った由緒ある個体で、現在は67年オランダ仕様にレストアされている。
【1970 LOTUS 72C (C/N:72-3) Yoshio Fukuda】
サイドラジエーター、ウェッジシェイプ、インボードブレーキなど、数々の新機軸を打ち出し1970年にデビューしたF1マシン。この72-3は、1970年8月のドイツGPでジョン・マイルズのレースカーとしてデビュー。アメリカGP以降は新たにナンバー2となったレイネ・ウィーゼルのレースカーとなり、このレースでシーズン最高位となる3位に入っている。マシンのオーナーでありドライバーは、日本のロータス・エンスージァストとして有名な福田美雄氏。氏もロータスの魔力に取り憑かれたひとり。
【1973 LOTUS 72E (C/N:72-6) Katsu Kubota】
CTL Japan代表の久保田が所有、ドライブするのは、1973年に故ロニー・ピーターソンがドライブしたロータス72E。このシャシーナンバー72-6は、1971年に72Dとして製作され、レイネ・ウィーゼルのマシンとしてドイツGPにデビュー(8位完走)。その後、72年はデイブ・ウォーカーのレースカーとして活躍し1972年のシーズンオフに72Eへとアップデート。1973年シーズンはこの年からチーム・ロータスに加わったロニー・ピーターソンのレースカーとなりフランスGP、オーストリアGP、イタリアGPそしてUSA GPで優勝を飾った由緒正しい個体。1974年から75年にかけては南アフリカのF1選手権で闘っている。
【1977 LOTUS 78 (C/N:78-3) Masayuki Goto】
サイドポンツーンの下側をウイング状としてダウンフォースを得ようとしたグランドエフェクトF1の先駆的存在。デビューするや否や、異次元の速さを見せた78は、F1マシンのデザインを一夜にして変えた記念すべき1台でもある。このシャシーナンバー3は77年のアメリカGPでアンドレッティのレースカーとしてデビュー。このレースを含めシーズン4勝を挙げる活躍をみせた。オーナーに代わりドライバーを務めたのは、ヒストリック・ジャガーのスペシャリストとして知られる後藤将之氏。
【1977 LOTUS 78 (C/N:78-4) Dan Collins】
CTLのファイター、ダン・コリンズがドライブする78-4。当時JPS-18と呼ばれたこの個体は、ナンバー2のニルソンのレースカーとしてドイツGP以降のシーズン後半戦で活躍。1977年に富士スピードウェイで開催されたF1日本GPでは、翌年癌で他界することになるニルソンが、生前最後のドライブを披露しているメモリアルマシーンでもある。また、この時だけ塗られたインペリアル・タバコの赤いカラーリングも話題となった。
【1979 LOTUS 79B (C/N:79-5) Tetsuji Yamanaka】
78で成功したグラウンドエフェクト理論をさらに詰め、各部を洗練させたのが、このタイプ79。熟成に手間取り、本格的な実戦投入は78年ベルギーGPからとなったが、アンドレッティとピーターソンのコンビで6勝を挙げWタイトル獲得に貢献した。このシャシーナンバー5は、翌79年のタイプ80の失敗を受け新たに製作されたシャシーで、新スポンサーのマルティニ&ロッシ・カラーで参戦。南アフリカ&アメリカGPでそれぞれ4位入賞を果たしている。オーナーに代わりドライバーを務めたのは、ヒストリックレーシングカーの経験豊富なエンスージァスト、山中徹治氏。
【1981 LOTUS 88B (C/N:88-2) Clive Chapman】
FISAが禁止したスライディングスカートへの対応として、シャシーをモノコックやドライブトレインからなる"セカンダリーシャシー"と、ボディ、サイドポンツーン、リアウイングからなる"プライマリーシャシー"にわけ、安定したダウンフォースを得ようとした、チャップマン最後の意欲作。この"最後のチャップマン・イズム"を体現したマシンを、クライブ自ら午前のプラクティスでドライブ。「富士は高速でありながらテクニカルで非常に良いコースでした。88BはCTLでも1台所有していて、実は富士に来る前にヘセルでテストしてきたのだけれど、Katsuのクルマのコンディションは素晴らしい。とても楽しめました」
【1981 LOTUS 88B (C/N:88-2) Nick Fennell】
88Bを午後にドライブしたのは、ロータス25のオーナーでもあるニック・フェネル。かつてオートバイのレースで鳴らした腕前は4輪でも健全。「1.5リッターはスライドしながらコントロールしるのだけれど、やはり3リッターのウイングカーは違うね!」
【1985 LOTUS 97T (C/N:97T-1) Hiroki Yoshida】
アイルトン・セナを迎えた1985年シーズン用のF1マシン。ジュラール・ドゥカルージュの手による前年95Tの進化版だが、新加入のセナはこの年16戦中、7ポールポジションという圧倒的な速さを披露。初優勝となったポルトガルをはじめ2勝を挙げる活躍をみせた。また同僚のエリオ・デ・アンジェリスも1勝を挙げ、この年チーム・ロータスは、マクラーレン、フェラーリに次ぐコンストラクターズ3位(ウィリアムズと同ポイント)を獲得した。ドライブしたのは、現役レーサーの吉田広樹選手。「意外と乗りやすいなという印象でしたが、やっぱりターボが効くと面白いですね」
【1989 LOTUS 101 (C/N:101-1) Itaru Ishida】
フェラーリやランチアのエンスージァストとしても有名な石田格氏がドライブするロータス101。3.5ℓ NAに統一されることになった1989年用に開発されたマシンで、デザインを担当したのはウィリアムズから移籍してきたフランク・ダーニー。エンジンはカスタマー仕様のジャッドV8が搭載された。しかし、ライバルに比べてパワー不足なうえ、空力重視のシャシーにピケ、中嶋ともにドライビングスタイルを合わせることが出来ず苦戦する結果となった。このシャシーナンバー1は、中嶋のレースカーとしてブラジル&サンマリノGPで使用。その後はテストカーとなり、デビュー前のミカ・ハッキネンもドライブした。
【1989 LOTUS 101 (C/N:101-2) Kenji Sasamoto】
101はもう1台出走。こちらはシャシーナンバー2で、当時のエースドライバーであるネルソン・ピケがレースカーとしてシーズン前半使用していた個体。カナダではシーズン最高位タイとなる4位入賞を果たしたほか、フランス&イギリスGPでは中嶋もドライブしている。ドライブするのはAUTOCAR JAPAN編集長の笹本健次氏。
スペシャルランでは9台のF1マシンが疾走!
午後に行われたヒストリックF1スペシャルランでは、集結したロータスF1のうち、なんと9台ものマシンがデモランを披露。最後はコース上で待ち構えるクライブに向け、全車が隊列を組んでゴールする感動的なフィナーレとなりました。
ゴール後、クライブはホームストレートに止まった各車の前で、かつて自らの父が見せたのと同じポーズで記念撮影を披露。さらに久保田の72Eに駆け寄り、ガッチリと握手をして祝福。
そしてこの記念すべきデモランを実現したドライバー、オーナーらとともに記念撮影。ロータス社創立から60周年を迎えた年に、行われたこのデモランは、日本のロータス史、ヒストリック・イベント史においても記念すべきものとなるでしょう!
ご協力いただいた全ての皆さん、本当にありがとうございました!
本国CTLからゲストも多数来日
【Clive Chapman & Katsu Kubota】
CTL代表のクライブ・チャップマンは久々の来日。富士スピードウェイといえば1976年にマリオ・アンドレッティが勝利を挙げた、チーム・ロータスにとっては特別な意味をもつ場所。以前から「そこを一度走ってみたい」という希望を持っていたクライブに応えるために、CTL Japan代表の久保田は、クライブにタイプ88Bを用意。男の約束が叶った瞬間でもありました。
【Chris Dinnage】
CTLマネージャーであり、1980年代にはチーム・ロータスのメカニックとして、エリオ・デ・アンジェリス、ナイジェル・マンセル、アイルトン・セナ、中嶋悟、ネルソン・ピケ、ミカ・ハッキネンらを担当したクリス・ディネッジも来日。最近は各イベントでF1デモランも担当するクリスですが、今回は本業のメカに専念。かつてセナとともに過ごした97Tには格別な想いがあるそうです。
【Dan Collins & Nick Fennell】
今回はCTLスタッフの他に、CTLワークスドライバーであり、パトロンでもあるダン・コリンズと、ニック・フェネルも来日。ダンはヒストリック・フォーミュラ・ワン・シリーズに愛機ロータス91で参戦するベテランで、近年はそのチェアマンも務める人物。2011年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードでは、ロータス88Bで最速ラップを叩きだし優勝したほか、2009年のFIA Lurani Trophyでは6レース中5勝、2位1回という圧倒的な成績を収めチャンピオンを獲得した腕前の持ち主でもあります。
一方のニック・フェネルはCTLを支える若手オーナーのひとりで、あのロータス25R5のオーナー! 先日のグッドウッド・リバイバル・ミーティングではフロントローからスタートし、序盤トップを快走、結果的に2位入賞を果たしています。ちなみに過去に数年間日本に住んでいたこともあって、かなりの日本通。国産旧車のコレクターとしても有名です。
【Kenny Szymanski】
さらにスペシャルゲストとして、F1ジャーナリスト小倉茂徳さんの親友で、1978年のモナコGPからメカニックとしてチームに帯同してきたケニー・シュマンスキー(右)も、豪雨のニューヨークから来日。生粋のロータス・フリークでもあるケニーは、当時のチームウェアに身を包んで登場!
CTL MEETING IN FUJI スペシャルトークショー
CTL MEETING IN FUJI の会場となったピット上のクリスタルルームでは、CTLメンバーによるスペシャルトークショーも開催。MCを務めた小倉さんの進行のもと、過去のチーム・ロータスの秘話や、現在のCTLのエピソードなどの話題で大いに沸きました。
特にケニーさんによる、1982年オーストリアGP優勝秘話(エリオ・デ・アンジェリスの初優勝であり、コーリン最後の勝利でもある)や、クリスによるアイルトン・セナとの想い出話などは、熱心なロータス・ファンの皆さんにとっても初めて聞く話ではなかったでしょうか? また、クライブ自ら語る父コーリン・チャップマンの話も興味深いものでした。
一方、久保田、ダン、ニックが加わった第二部では、各々の想い出話から裏話までが飛び出し、あっという間に予定の1時間が過ぎました。
またトークショーの最後には、これまでのCTLに対する貢献と、友情の証として、JPS時代にコーリン・チャップマンが着ていた、秘蔵のチームウェアがクライブから久保田にプレゼントされるサプライズが! そのクライブの心遣いに会場が感動に包まれた瞬間でもありました。
レジェンド"Tetsu Ikuzawa"も登場!
当日のCTLピットには、こんなサプライズゲストも! 1966年に単身渡英し、ロータス41で英国F3に挑戦。その後、59F3や69F2をドライブ、1970年のホッケンハイムF2では未だ日本人最上位となる2位を記録した生沢徹氏が応援に来てくださいました。しかもご夫婦揃って、Team Ikuzawaが1982年から84年にかけて全日本F2選手権をJPSカラーで闘っていた時のティームウェアを着て登場。なんとも粋な演出です。
CTLブースは今年も大盛況
またF1ピット裏では今年もCTLブースがオープン。このイベントのために作られたスペシャル・グッズや、人気のPLANEX COLLECTION 1/43 LOTUS F1 SERIESの販売が行われ、本当に多くの皆さんにお越しいただきました。ありがとうございます。
Photo:Classic Team Lotus Japan